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第5回 日本サービス大賞「地域創生大臣賞」受賞

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ご報告

地方創生大臣賞

第5回 日本サービス大賞 受賞

令和6年 能登半島地震
災害でも医療を止めない「レジリエンス力」

2025年12月9日

社会医療法人財団 董仙会(石川県七尾市、理事長:神野正博)は、「第5回 日本サービス大賞」(主催:公益財団法人日本生産性本部 サービス産業生産性協議会)において、応募総数768件の中から「地方創生大臣賞」を受賞いたしました。

日本サービス大賞とは

多種多様なサービスを横断的に評価する日本初・日本最高峰の表彰制度です。国内のあらゆる分野から特に革新的で優れたサービスを表彰し、日本のサービス産業の生産性向上とイノベーションの推進、社会や地域経済の活性化に貢献するサービスが選ばれます。
「地方創生大臣賞」は、地域経済や社会の活性化に大きく貢献したモデルに贈られる特別な賞です。
日本サービス大賞 公式サイトはこちら >

特に評価された3つのポイント

以下の取り組みが「“災害時医療介護サービス”と呼ぶべき貴重な成功事例」として高く評価されました。

1. あらゆる災害を想定した平時の備え
「いつものBCM / もしものBCP」を合言葉に、様々な災害を想定した事業継続計画を体系化。さらにE-learning教材を内製化することで職員教育を徹底。また、設備管理会社との毎週の定例会議に経営層も参加し、平時から設備の状態と課題を把握していたことが、発災時の迅速な仮復旧につながりました。
2. 発災時にレジリエンス力を発揮したサービス提供体制
発災直後に危機管理統括本部を設置し、DXによる情報一元化と指揮命令系統の一本化を図りました。また、被災者でもある職員の働く環境を迅速に整備することで、平時と変わらぬ医療福祉サービス提供を途切れることなく継続しました。
3. 国土強靭化に資するモデルとしての期待
医療・介護の現場は、災害時には平時以上の対応が求められる――この本質的な課題に向き合いながら機能を維持し続けた今回の実績は、災害時の医療介護サービスとして貴重な成功事例と評価されました。全国の災害対応モデルとして広がることが期待されています。

「第26回 日本免震構造協会賞-2025-普及賞」も受賞

今回の地震において、当院の免震構造が病院機能の維持と医療活動の継続に大きく貢献したことが評価され、2025年3月には日本免震構造協会より普及賞を賜りました。
地震大国日本において、災害時にも患者さんの安全を確保する重要な基盤として認められたものです。

免震構造協会賞の詳細はこちら

受賞サービスの詳細

2024年1月1日能登半島地震 災害でも医療を止めないレジリエンス力

95日間 七尾市の断水期間中も
医療を継続
1,053 救急車搬送受入
(発災〜3月)
11,316 職員・家族への
入浴支援実績
254 臨時学童保育
利用者数

能登全域の病院が止まる中、
唯一 全機能が稼働した「砦」

2024年1月1日16:10、マグニチュード7.6——後に「激甚災害」に指定された「令和6年 能登半島地震」が発生しました。ライフライン(道路・電気・上下水・通信など)が甚大な被害を受け、七尾市では95日間もの断水を余儀なくされ、生活や医療・介護サービスの継続が極めて困難な状況となりました。

七尾市以北には災害拠点病院を含む6つの公立病院がありますが、すべてが被災により通常機能の維持が困難となる中、当院(恵寿総合病院)は免震構造と迅速なライフライン仮復旧により、唯一、平時と変わらぬ病院機能(入院・外来・手術・分娩・透析・各種検査)を維持し、地域医療の「最後の砦」としての責務を果たしました。

独自のレジリエンス・システム

いつものBCM(事業継続マネジメント:平時の備え)

  • 教育と訓練: 当院独自で作成し 発行する「レッドブック」による全職員への周知とe-learning教材の内製化。
  • 強靭なインフラ: 2回線受電方式、飲用可能な井戸水と緊急時の濾過装置の確保など、ライフラインの多重化を推進。
  • 施設設備会議: 平時から毎週、設備管理会社との定例会議に経営層も参加し、設備の状態と課題を「現場だけの話」にしない。
  • 夜間離発着ヘリポート: 奥能登からの搬送を見据えた設備投資。

もしものBCP(事業継続計画:有事の対応)

  • 指揮命令系統の一本化: 理事長方針による即時の「危機管理統括本部」設置。
  • チーム制の稼働: 医療・介護・給食の3チーム体制で専門的に対応。
  • 情報のDX化: 業務用iPhone(520台)・Microsoft Teams・電子カルテによるリアルタイム情報共有。
  • クロノロジー記録: 詳細な記録の蓄積は、出来事が単発か連鎖かを見極め、「次への備え」だけでなく「今この災害へ」の対応力にも繋がりました。

2024年1月1日 発災当日

16:10
能登半島地震発災。即座に予備線(和倉変電所)へ切替わり、通電継続。
16:32
透析患者全員の安全な離脱を完了。
17:30
院内に避難してきていた近隣住民 約200名に備蓄食品や毛布などを配布。外来スペースを避難場所として開放。
17:50
耐震構造の建物にいる患者113名を、より安全な免震構造の建物へ移送開始。
(エレベーター停止の中、全職員が連携した人力搬送)
18:00
本館(免震構造)への給水源を 上水→井水(井戸水) へ切り替え完了。
これにより本館への水の供給が再開し、手術室をはじめ各部門の機能が回復。新たな救急患者の受け入れ態勢も整う。
23:45
免震構造棟への全患者移送完了。
(すべて人力で5時間55分をかけ安全に移動)

医療の提供が、私たちの最大の使命です。
しかし、その使命を全うするためには、まず現場で戦う職員たちを守り抜く必要がありました。
彼らもまた、一人の被災者だったからです。

人を守り、地域を支える取り組み

地域を守る:広域医療拠点として

広域医療拠点として

屋上ヘリポートを活用し、ドクターヘリや防災ヘリのような大型ヘリにより奥能登からの患者搬送の受け入れを続けました。
また、救急車による患者搬送は発災直後から3月までの間に1,053件に対応し、地域医療の要としての役割を果たしました。

地域を守る:地域へのアウトリーチ

地域へのアウトリーチ

市内には100人以上が避難する大規模避難所が多く存在しました。そこで、普段の巡回バスルートに加え、これらの避難所にも立ち寄れるようルートを急遽追加。交通手段を持たない被災者や体調不良の方が、病院で診察や検査を受けやすい環境を整えました。また、当院の医師たちが避難所を訪問し、直接診察も行いました。

地域を守る:福祉避難所の開設

震災時も途切れない支援の輪:福祉避難所の開設

自宅の被害状況や不安から、退院や帰宅をためらう患者さんが増えました。しかし全員を入院させては、急性期医療に支障が出てしまいます。そこで法人グループ内に2つの福祉避難所を即座に開設。平時から取り組む「インフィニティ・リング(切れ目のない支援)」の理念が、震災時にも活きた形となり、3月末までにのべ210名に利用されました。

職員を守る:メンタルケア

職員を守る:メンタルケア

職員は業務量が急増しただけでなく、普段とは異なる対応や慣れない環境での業務が続くため、精神的な疲弊も続きます。院内には専門の医師や公認心理士も在籍するため、診療ではなく「相談」という形式で心の内を吐露できる場所をつくり、気軽に立ち寄って心を休められる体制を整えました。

職員を守る:臨時学童保育

職員を守る:臨時学童保育

学校が再開しない中(施設の被災+多くは避難所として利用されていたため)、子供のいる職員が安心して働けるよう、発災8日目より院内に臨時学童保育を開設。市内すべての学校が再開するまでの約1ヶ月間で、のべ254名の子どもたち(0歳児~中学生)を預かりました。介護部が主担当となって見守り、時には医師が塾講師のように勉強を教えるほほえましい姿も見られました。

職員を守る:入浴支援

職員を守る:入浴支援

増え続ける医療需要に対応し、帰宅後は散乱した自宅の片づけに追われる職員たち。断水でお風呂にも入れず、緊張と疲れが取れません。 そこで井戸水を活用して院内シャワーブースを復旧。さらに故障した2台の大型ボイラーを解体し、使える部品を組み合わせて1台を復活させ、大浴場の復旧も実現しました。職員やパートナー企業の方々、そのご家族に開放し、のべ1万人以上に利用されました。

職員を守る:住まいの提供

職員を守る:住まいの提供

地震から約1ヶ月の時点で、自宅以外から出勤する職員は124名。うち43名は避難所から通っていました。全壊・半壊により住まいを失った職員のために、院内の空き個室や官舎を開放し、ゆっくりと身体を休められる空間を提供しました。さらに能登に比べて被害が少なかった隣接する富山県氷見市に 新築住宅を確保し、無償で貸与しました。

この知見を、日本全国の備えへ

今回の受賞は、当法人だけの成果ではありません。
支援を寄せてくださった多くの皆様、そして被災しながらも現場を支え続けた職員一人ひとりと共にいただいた賞だと考えています。
地震大国である日本において、私たちが経験した「成功」も、直面した「困難」も、すべてを共有し、未来の備えとして役立てていただくこと。それが日本の防災・減災に貢献する道であり、被災地にある医療機関の使命だと考えています。

発災からの3ヶ月間、何が起きたのか?

当法人では、発災から約2年にわたり災害対応の詳細な記録を残し続けています。
その膨大な記録の中から、発災直後の3ヶ月間(2024年1月1日〜3月31日)の主要な事象を
見出し形式で抽出した「クロノロジー(経過記録)」を公開しています。
発災直後の混乱から復旧への道のりを疑似体験いただき、医療機関のみならず、あらゆる業種の皆様のBCP策定などにお役立ていただければ幸いです。

クロノロジー(PDF)を見る

能登の復興は、まだ道半ば

発災から約2年。公費解体が進み、街には空き地が増えました。慣れ親しんだ景色が変わっていくことへの寂しさは拭えません。
それでも、修繕を終えて再開するお店や、新しく生まれる交流の場など、少しずつではありますが、皆が前を向いて歩みを進めています。

当院は医療DXの先進事例として、毎月全国から多くの病院・団体が見学に訪れます。
その際、皆様が声を揃えて仰るのは「こんなにも復興が進んでいないとは」という驚きの言葉です。
報道が減り、被災地以外では記憶が風化していく中で、復興はまだ道半ば。
それでも私たちは決して歩みを止めません。医療を守ることは、この地域の暮らしと未来を守ること。
「地方創生大臣賞」の誇りを胸に、能登が再び活気を取り戻すその日まで、地域と共に挑戦を続けてまいります。

備えよ常に。

「備えよ常に」を信条に、万全の準備と職員のチーム力で未曾有の震災時においても医療を止めることなく、地域と共に歩み続けることができました。
この度の受賞では「国土強靭化に資する取り組み」とご評価いただき、誠に光栄に存じます。
地域の安心と信頼のため、これからも挑戦を続けてまいります。

社会医療法人財団 董仙会
けいじゅヘルスケアシステム